SIN
HUE LABEL A&R
p*dis BUYER
中澤始
音楽ライター。
見切り発車でフリーに。見切り過ぎだよトホホ…。
書きます。仕事ください。
本多千鶴
1974年生まれ、山形県出身。音楽ライターを志す栄養士。
「KITTEN」「ミュージクマガジン」誌などで書いています。
小野寺徹
音楽ライター。時折MM誌にレビューを書いてます。理屈よりも音で伝わるような音楽を言葉で伝えるのに苦心しています。
TH
1975年千葉県生まれ、杉並区在住 メールはこちら
オオキサエリ
1983年生まれ 
東京都在住
インディーズレーベルでのアルバイト経験有
音楽ライターを目指して頑張っています!HP→
畠山地平
電子音楽ユニットvalyushkaとソロで音楽活動をしている。
その他現在はライブイベント、「radical mute geek」の運営等。HP→
筒井真佐人
駆け出しライター。traksyなどでもライター活動をしている。Dance and Media Japanでmax/mspのワークショップを行なう。またレーベル「ONZO」にも所属し、パフォーマンスイベントの主催など行なう。
高橋潤
kitten、MAG FOR EARS等に書かせてもらっています。
http://d.hatena.ne.jp/zu-hause/
ユキシュンスケ
バンド、ソロにて都内で音楽活動をしています。
ときに映像の音楽なども手がけながら精力的に活動中。
その他、ライブイベント「childlike tree」の運営など。
http://yukai.jp/~nowhere/
大崎暢平
hueレーベル専属レビュワー。お叱りのメールはhueではなく、こちらへ。
mondii
PLOP LABEL A&R
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[Aug.] [Sep.] [Oct.] [Nov.] [Dec.] 2004

8/27 UP!


whatness
http://www.whatness.de

 whatnessは、音楽と他ジャンルのアートとの融合を標榜し、独自の展開をみせている。このレーベル自体からして、ekkehard ehlersともう一人のファウンダーが、恒例となった巻物のような一方向四面デジパックを手がけるmarkus weisbeckというデザイナーなのである。これまでにフィーチュアされたアート側の人を
ざっと振り返ると、liam gillick(コンセプチュアルアート)、kirsten pieroth(工芸)、ernst busch(コミュニスト)、olafur eliasson(写真家)、william forsythe(バレエ)、といった具合。七作目となる本作では、peter roehrという23歳で夭折した前衛マルチメディア作家に焦点を当てている(ちなみにこの人の1966年の作品が、ester brinkmannのリリースで知られるsupposeから出ている)。
 ehlersの"plays"でもみられたこうしたアーティスティックな越境は、ehlersの現代アート嗜好に基づくのだろう。いかんせんその方面の素養がこちらにないものだから、その意義や成功度、とまでいかずとも、見た目以上の面白さを味わう事さえ損なわれそうで、やはりその辺りを知りたく思うのである(誰かお願いします)。まあ、取っかかりは音楽側でいいやと割り切って、オーディオギャラリーとして楽しむ訳ですが。何しろパッケージが良いし、音楽側の人も注目どころを配しているので、興味の範囲でも楽しめる。本作で七人の作家がroehrの音源を用いて楽曲を作っているが、間口は割と広い。じゃあその取っかかりから、先に踏み込むなら……例えばそう、僕は聴きながら、各作家のroehrとの距離のとり方、タイトルの「on」という言葉の位置関係について考えたりしている。抽象的だけど、そんなところから、ehlersの言う可能性がみえてくるかも、と。(中澤始)

 

8/20 UP!


audraglint
http://www.audraglint.com

 エレクトロニカというものによって触発された審美感みたいなものがあって、パッケージデザインに対する感覚はその中の大きなひとつだと思ってるんです。特殊ケースやデジパックに自然と手が伸び、素朴とsimple(もしくはschlicht)、あるいは清廉とclear(もしくはsauber)の、あいだを行き来するようなデザインディレクションに目を惹かれずに居れません。その良し悪しはヘタな情報の有無より事前に内容をはかる尺度になるばかりか、内容の良さを左右しさえしている気がします。最初この作品に目が留まったのは、やはりそのデザインのせいでした。
 というのは、ジャケ表に整然と並んだリミキサー名にそれほどピンとこなかった事への言い訳ではありますが、無名の人ばかりでもなく、casino vs japanとかisanとか、bengeの別名stendecとかfreeform関連のnudgeとか、それなりにキャリア組も交じってます。で、覚えのない人も調べてみると、リリース元として、temporary residenceだwobblyheadだ4adだ(!)と、聞いたレーベル名がゴロゴロ出てくる。
 本作はcharles atlasという3ピースバンド(casino vs japanもここのメンバー)のアルバム『worst weight』のリミックス作で、音の方は、ぱっと聴きでも安心できるエレクトロニカに仕上がっています。でもその程度ならパッケージを根拠にした当てはハズレです。それだけで終わってしまった作品はこれまでいくつもありました。その先に作り手の素性を知りたくなるようなクセが感じられるところが本作の当たりたる由縁です。特に気になるのは、全体に聴き易い鈴系の高音やコロコロと耳を衝く音の目立つ中、ダブとセオ・パリッシュの折衷を軽業でやっているようなstrategyや、原曲に一番近そうでゴチックなtele:funkenなど。マスタリングをtwerkがしてたりします。(中澤始)



8/16 UP!


spekk
http://www.spekk.net/

 日当たりのいい部屋の窓の外には、青、というよりはあまりにも群青に近い色の空が広がっていて、それを遠く眺めながらベッドのうえで意味のない独り言を呟いては苦笑する、という、朝に昼に夜に、あらゆるベッドサイドで行われている行為。それがこのつかみどころのない作品の要素であり本質でもあるだろう。発せられた言葉は虚空に消えていくことなく、コンピュータ上で何度も加工された。それはもはや言葉ではないし、声でもない、単なる音響。

 デリケートな音の連なりは決して空間を支配することはないものの、やがて混沌と安穏が同居した不思議な感覚を呼び起こすだろう。それは、たとえばタルコフスキーの映画を頭のなかで想像しながら再生しつづけているようでもある。CDプレイヤーの停止ボタンを押してからも、音が鳴りつづけているような錯覚を覚えるこの作品が湛えているのは、ベッドルームに充満する濃密な空気である。あるいは、付けているヘッドフォンをすぐさま外して投げつけたくなるような、アンビエントとして機能しないアンビエント。これもまたひとつの美のかたちだと言える。この氷でできた彫刻のような音響芸術(あえてこう書く)作品には、物語性などは皆無だけれども、驚きと美しさが詰まっている。(SIN)



8/9 UP!


audiodregs
http://www.audiodregs.com/

 「lichten」という単語はドイツ語で、英語に訳すと「lighten」。つまり「明るくする」「軽くする」「喜ばせる」といった意味があるけれど、そんなタイトル通り、f.s.blummはこの3枚目のソロ・アルバムにおいて、いろいろなものに光を当てようとしている。harald 'sack' zieglerとのユニットsack und blummのイメージが強い気もするけど、実は彼のソングライティング能力はとても高い。それを過度に感じさせないあたりがまたf.s.blummの作品の魅力なのだという言い方ももしかしたらできるかもしれない。

 アコースティック・ギターやピアノを基調に、アコーディオンやメロディカ、ホルンやグロッケンまでさまざまな生楽器により丁寧に紡がれた楽曲は、美しい織物のようで極めてナチュラルでしっとりした輝きを放っている。毒の類が一切ない牧歌的なサウンドはこれまでの作品にはないなめらかさを帯びていて、揺るがない落ち着きを持っているようだ。この作品には、たとえばスイスの高原の羊飼い、フィジーの漁師からメキシコの路上の小物売りや、スウェーデンの小学生までが聴いているかもしれないような音が確実に鳴らされている。そんなある種の生々しさこそが本作の美しさなのだと思う。(SIN)



8/5 UP!


klangbad
http://www.klangbad.de/

 2002年カンヌ・グランプリに輝いた、アキ・カウリスマキの『過去のない男』で主人公を演じたのを始め、カウリスマキ映画の常連でもあるマルック・ペルトラ。ギタリストの彼がさまざまなミュージシャンとともに制作した本作は、2003年に本国フィンランドでリリースされた作品の、ドイツのklangbadからのライセンス盤。単なる俳優のサイドプロジェクトという枠にとらわれない、クオリティーの高いすばらしい作品となっている。エミール・クストリッツァの映画を想起させるジプシー音楽から、rachel’sが民俗音楽をプレイしたような曲や、Calexicoあたりにも通じるカントリー調の曲まで、多様なサウンドを聴かせてくれる。

 クラシック・ギター、ヴァイオリンなどの弦、パーカッションにジプシーホーンが絡みあう騒々しさは、やがて悲しみと笑いが混じりあうような複雑な感情を思い起こさせ、『過去のない男』におけるあの尋常ではないペーソスとユーモアは、この人のキャラクターによるところが大きかったのかもしれないな、となんとなく思ってしまう。軽快さがとても印象的で、困難を泣きながら笑い飛ばしているようで、『過去のない男』とともに忘れられない1枚になりそうだ。

 あるひとつのパーティー。あるいはパーティーという言葉を使うまでもないただの馬鹿騒ぎ。楽しかったりそれほど楽しくなかったり、笑いあっていても、内面はどんな顔をしているかなんて、お互い分かりはしない。そんな人間の複雑さや、それゆえの単純さを愉快に、そして時に寂しげに音で鳴らしたロードムービーのような作品。(SIN)



8/2 UP!


resonant
http://www.resonantlabel.com/

 アイスランドの音楽に共通するセンスを僕ははっきりと感じている。たとえば、sigur rosとmumの音楽性は全然違うけど、彼らの作品には、どちらも同じものがまとわりついているように思える。かつて西洋で「ジャポニスム」が流行したように、いま、「アイスランデイズム」とでも言うべき流行があると言っていいと思う。それが単なるエキゾチズムであることを決して否定はできないけど、そんな偏ったイメージに隠されながらも、確かに存在するアイスランド音楽の「暗さ」と「メランコリア」。

 stafraenn hakonはレイキャビックのアーティストolafur josephssonのソロユニット。本作は自主制作でリリースされた彼の2ndのリイシューで、昨年、3rdがリイシューされたのと同様にUKのresonantよりリリース。コンピュータ上で加工され引き延ばされたギターフレーズのループとドローンとフィードバック、そして緩やかなドラムマシーンの音基本にしたアンビエント寄りのポストロック・サウンドは極めてミニマルなのに美しい拡がりを持っていて、聴き流すことのできない音の連なりは大変感動的だ。先に書いたアイスランドの「暗さ」と「メランコリア」はやはりここでも感じられる。

 暗さのなかにも輝きはあるし、逆に輝きのなかにも暗さはあるものだということ。いよいよ正真正銘の新作が9月にリリースされる。the album leafがsigur rosやmumのメンバーなど、アイスランドのミュージシャンとともに、わざわざアイスランドで作り上げた新作においてやりたくてできなかったことが、ある意味、そこでは完璧になされている。(SIN)



7/30 UP!


moteer
http://www.moteerrecords.co.uk/

 matt elliot(third eye foundation)の昨年リリースの傑作"the mess we made"にチェロで参加していた、ブリストルのバンドmovietoneのchris coleによるソロ作。the remote viewerが主催するレーベル、moteerよりリリース。

 ひとりで、チェロ、ドラム、メロディカ、シロフォン、リコーダー、ピアノ、トランペット、アコーディオン、スパニッシュ・ギターやフィンランドの民俗楽器カンテレなどを操るマルチ・インストゥルメンタリストである彼が作り出した音楽は、盟友matt elliotの作品群と同じ空気感を持っているように感じる。つまり、決して消えることのない不安や苦しみであり、それらを抱えながら見る一瞬の夢の優美さというのが、本作のひとつひとつの音からにじみ出てくるものだろう。類は友を呼ぶ?そうかもしれない。

 まずはスパニッシュ・ギターのエキゾチックな調べに耳を奪われるだろう。しかし単なるエキゾチズムに覆われることなく、他のさまざまな楽器の音色と溶け込んでは、聴き手をうっとりとした気分にするだろう。そして、同時に、どこか不安な気分をもたらすかもしれない。不穏さのなかに垣間見ることのできる美しさとでも言おうか。それはまるでthird eye foundationの音楽ように、霧のなかを漂うような、分厚い雲のかたまりをちぎってまぶしたような音楽である。最終曲'grace in rain'は極めてTEF的な音響ドラムンベースで、生音による音響装飾が施されれば施されるほど、悲しみを湛えていくようだが、不思議と僕の心はまるで母親の子宮のなかのような穏やかさを取り戻すのだ。(SIN)