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FEATURE


TAMAS WELLS INTERVIEW 2008

●まず、昨年のジャパンツアーは大変素晴らしいものでした。多くのファンがあなたの歌声に酔いしれました。ツアーの感想を聞かせてください。

ぼくにとって素晴らしい経験だったよ。初めての日本で、たくさんの人たちがライヴに来てくれてとても気分がよかったよ。ミャンマーに住んでいたから、ライヴをする機会はほとんどないんだ。ぼくはただヤンゴンの自宅で演奏したり、レコーディングをするだけで、それはとても内省的な経験だから、他のたくさんの人たちとそれを共有するってことは、信じられないっていうか、むしろ驚くべきことだったんだ。


●あなたが日本からヤンゴンに帰国した直後に、ミャンマー政府による反政府デモの武力弾圧という凄惨な事件が起きました。そのあいだ、あなたたちはどのような状況におかれていたのでしょうか?また、どんなことを思っていましたか?

そのときぼくはミャンマーにいたんだ。日本人のジャーナリストの死は悲劇だったと思う。あのとき、実際ぼくはミャンマーの北部を旅行していたから、ヤンゴンで起こったことの多くは見ていないんだ。BBCのニュースとか以外は。当時、ミャンマーでは状況の変化に対する希望があったけど、政府による弾圧があって以来、人々はなけなしの希望すらも失った感があるね。


●今回のアルバムをコンセプト・アルバムにしようと考えたきっかけを教えてください。またその時期は具体的にいつですか?

タイトルにはふたつの違った意味が込められているんだ。ひとつは、ぼくがこのアルバムを書き始めたのが、ミャンマーに着いたちょうど2年前ってこと。だから4月でちょうど2年ってことなんだ。でも、このアルバムはデニスっていう少女についての物語なんだ。


●コンセプト・アルバムのストーリーについて教えてください。

うん、それぞれの曲はちがった視点で描かれていて、いつも直接的に物語を認識できるわけじゃないんだ。でも、全体として、ひとりの若い少女についての物語になっている。彼女はパートナーと一緒に外国を旅して、オーストラリアの郊外に帰ってくるんだ。でも、彼女は海で行方不明になって、彼女の死体が結局浜辺で見つかるんだ。


●リリックがより抽象的になっているような印象ですが、ここには何らかのメタファーが含まれているのでしょうか。デニスの置かれた環境が、あなた自身やブロンの投身であったりするのでしょうか。

「海外に住むオーストラリア人」っていうアイデアはぼく自身の経験と似ているね。いまはできるだけ船には乗らないようにしているよ。ぼくとデニスの状況が他にこれ以上似ないようにするためにね!多分、物語のメランコリックなトーンはぼくがミャンマーの生活で知覚したいくつかの経験を反映しているかもしれない。毎日、悲劇的な死がそこにはあって、一方でオーストラリアや日本とかみたいなもっと豊かな国々では、死はなじみがなくてほとんど非日常的なものとして見られる。とにかく、このインタビューでは陰気な話はもうおわりにしよう!


●曲づくりのメソッドに変化はありますか? つまり、今回は先にストーリーがあって、そこにあう曲を書いていったのですか? それとも、今までと同じやり方で、たまたまストーリーのある内容なのでしょうか。

今回、いつもと同じようにメロディーを先に、リリックは後で書いたんだ。ストーリーはソングライティングの作業を通じて徐々に発展していったんだ。


●前作はマンドリンという楽器が重要な役割を果たしていました。今回、バンジョーを選択した理由はあるのですか?その音色によって作るメロディが変わったということはあるのでしょうか。

実際、楽器編成に関して言えば、ぼくはかなり怠け者で消極的なんだ。『A Plea en Vendredi』をオーストラリアでレコーディングしたとき、ぼくの家にはピアノがあったし、友達のマンドリンも借りれた。だからそれらの楽器を用いることだできたんだ。ミャンマーに来たとき、ヤンゴンのマーケットでミャンマー・バンジョーを買って、それを演奏するのを楽しんでいたんだけど、それが徐々に曲の一部分になっていったんだ。メロディーは少しずつ変わって行っていると思う。時間とともに、ほとんど無意識でね。けど、バンジョーがそれに影響を与えているとは思わない。


●主人公を少女に設定した理由はあるのでしょうか? 私は本作を聴いて、まっさきにルー・リードの「ベルリン」の物語を連想してしまいました。異国を舞台にした少女の物語という共通もありますが。

それも意識的な決断じゃないよ。けど、ソングライティングや物語の発展とともにそれも発展していったところもあるかな。


●本作でビオラを弾いている方について教えてください。

ジョーはぼくらの親友で、ヤンゴンに住んでいるイングランド人なんだ。彼女はたまたまよくビオラを演奏しているんだ。さっき言ったように、ぼくは楽器には少し消極的だから、彼女の腕前を考えれば、このアルバムでストリングが使われるのはとても簡単なことだった。アルバムができあがったいまでは、レコーディングの前にストリングが使われていないことが信じられないぐらいだよ。


●ミャンマーでの2年間の生活を振り返って、いまどのようなことを感じますか?

3週間の休暇でいままさにオーストラリアに戻るところだよ。いろいろな意味でミャンマーから離れるということはいいことだと思う。でもぼくはミャンマーに恋に落ちてもいたし、文化や愛着のある人たちについていろんな物事がそこにはあるんだ。


●ミャンマーでの経験や、ジャパンツアーでの経験が何かしらアルバムに反映されていたりしますか?

ミャンマーでの経験や悲しみはこのアルバムに絶対反映されている。日本にいるときに手に入れたいつくかのCDもこのアルバムのサウンドに影響を与えていると思う。ツアーのサポートをしてくれたナカシマモトヒロのCDは何度も聴いた。とても美しいよ。だから音楽的には、日本で見たいろんなバンドやそのCDに影響されているように感じるよ。日本の驚くべきインディーシーンは海外でも認識さているね。


●夏から新しい契約が始めると言っていましたが、これまでと同じNGOの仕事をするのですか?あるいは別の仕事でしょうか?

そう、もう1年NGOの仕事を続けるよ。そのあとに何をすべきか考えるよ。


●本当に多くの日本人があなたのニューアルバムを待っています。日本のファンにメッセージをお願いします。

去年のみんなの親切な歓迎に感謝しているよ。みんなと今年また再会できること、そして、いくつかの新しい街を訪れることを楽しみにしているよ。



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