hue and cry

Radical Faceのストーリーテリングについて少し

来日直前ということで、今回はラディカル・フェイスの音楽の肝でもあるストーリーテリングへのこだわりについて少し書いておこうとおもいます。

もともと作家であるベン・クーパーにとって、ラディカル・フェイスというプロジェクトとは、じぶんの頭のなかの世界=ストーリーをレコードというメディアを媒介して伝えることだと公言しています。

リスナーが気づくか気づかないかは気にせず、こまかなアイデアを作品にたくさん詰め込んでいて、だからこそ彼のファンは時に深読みしすぎなほど、ラディカル・フェイスの音楽について分析をおこなっています。

「The Family Tree」シリーズは『Ghost』をリリースした2007年から取り組んでいて、すでに8年が経過しましたが、いまだ完結していません。8年間、ひとつの作品について熱意を注ぎつづけるあたり、普通ではありません(ことし完結予定らしいですが!)。

さて、ここでは彼のストーリーテリングについて、今回のライヴで演奏する可能性が高そうな曲を例にあげてみます(いずれもベン自身の発言を参照にしています)。

「Family Portrait」

「The Moon Is Down」

「The Mute」
 
 

「The Family Tree」シリーズの時系列でもっとも古いのが1作目の『The Roots』収録の「Family Portrait」です。この曲のナレーターである青年を産むのと引換に母は亡くなり、父は酒に溺れ、その6年後に自殺するという内容。青年は姉とふたりで生きていきます。
 
 

それから何年後かは定かではありませんが、この曲は「Family Portrait」の姉にひそかにおもいを寄せつづける隣人の視点で歌われています(個人的にはこの曲のさいごの「but it’s good enough for me」というリリックのせつなさがだいすきです)。
 
 

時は流れ、2作目『The Branches』の「The Mute」は”頭のなかのゴーストとだけ語り合う口の利けないこども”の視点の歌。この口のきけないこどもの父親が実は「The Moon Is Down」の隣人とのこと。こども視点では「父さんはぼくのことを背負わなければいけない十字架とみなしていた」と歌われていますが、ここでは明かされることのない父視点においては、「The Moon Is Down」の彼は「The Family Tree」の姉に対しての気持ちを結局伝えることができなかったことで、じぶんのこどもがしゃべれなくなったに違いないという後悔を抱いています。

いかがでしょうか?彼が書くリリックの裏側には膨大な情報が潜んでいます。ぼくは詩の翻訳に正解はないと考えていますが、リリックだけでラディカル・フェイスの世界の全貌をつかむことは到底不可能なのです。

音楽の聴き方は自由だとおもいますが、こういった裏情報を頭に入れたうえでラディカル・フェイスの音楽を聴くときっと新たな発見があるかもしれません。

個人的には「Summer Skeletons」の主人公は「Severus and Stone」の兄弟だとおもっているのですが!(ちなみにSeverusとStoneは「Family Portrait」の姉の息子たち)

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