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Archive for 8月 1st, 2014

Tamas Wells ‘Volatility of the Mind’ tour 2014 ツアー後記

 

タマス・ウェルズの5度目となる来日ツアーがおわって一ヶ月が経ちました。今回のツアーで生まれたありとあらゆる感情、それを伝えきることができないもどかしさと歯がゆさを抱えながらもなんとか書き進めたいとおもいます。

2006年8月1日にはじめてタマス・ウェルズにメールを送ってからちょうど8年。そのあいだに5枚のアルバムと1枚のライヴ・アルバムをリリースし、5回も日本に連れてこれたのはぼくにとってなによりの誇りですし、さらにツアー中の6月28日に入社してちょうど10年という日を迎えることができた、ぼくの10年間の感情的なハイライトやクライマックスのほとんどが、彼や彼の音楽がもとになっていると言えるでしょう。

3月にリリースされた最新作『On the Volatility of the Mind』をはじめて聴いたときの戸惑いは忘れられません。この作品がもつある種の不自然な明るさは最初はカラ元気としかおもえませんでした。新境地を示す、エレクトリック・ギターとキーボードを中心とした明るい雰囲気のプロダクションと、それと反比例するかのようにより内省的で寂寥感漂わせる歌の内容。“本当に悲しい歌こそポップに歌う”と、ぼくはこの作品のキャッチコピーに書きましたが、タマス・ウェルズの音楽の核である「繊細さ」を極限まで突き詰めた結果、この作品ができあがったのだとおもいます。「心の不安定さ」あるいは「気持ちのぐらつき」とでも訳すことができる意味深なアルバム・タイトルは、のちに彼自身が述べているとおり、彼の5枚の作品すべてを言い表した言葉であり、今回の彼らの演奏によってぼくはその意味を完全に理解することができた気がします。

6/2に富士見丘教会が使用できなくなった旨の連絡を受けてから代替会場として光明寺が決定するまでの1週間については詳しくは書きませんが、まさに「Volatility of the Mind」な日々でした。そんな不運(あるいは試練)と、5度目のツアーにしてはじめての4人編成、2007年の最初のツアーにつづき、タマスの奥さんのブロンも加わること、そして上記のように入社10年という個人的な区切りもあって、今回のツアーはいつもと随分ちがいました。ツアーのあいだ、「もしかしたらこれが最後かもしれない」という予感を終始感じながら旅をしたのは今回がはじめてのことで、 世界でいちばん大切なアーティストのライヴをいちばん近くで観れる喜びよりも、もしかしたらさびしさのほうが勝っていたのかもしれません。

今回のツアーは福岡のpapparayray、神戸の旧グッゲンハイム邸、そして東京の光明寺とVacantの2公演の計4公演。バンド・メンバーはタマスに加え、2008年のツアー以来の参加となるネイサン・コリンズと、初来日となるブロークン・フライトのクリス・リンチ。さらに東京のみ、おなじみのアンソニー・フランシスが参加しました(本業(大学教授)でたまたま神戸に滞在していたため、実は神戸公演から参加予定でしたが諸事情でかなわず…神戸をブッキングしたのもアンソニーのためだったのですがね苦笑)。

ネイサン・コリンズによってもたらされた、タマス・ウェルズ・バンドとしては日本ではじめて披露されたドラム。といってもバスドラとスネア、ライドシンバルだけの簡素なドラムセットで、それらをブラシで繊細に叩いていました。ドラム以外にピアノやシンセも演奏し、またiPhoneとiPadのアプリを使ってさまざまなサウンドを提供していましたが、ドラムを叩きながらシンセを演奏したりする彼のマルチさが今回バンドを支えていたと言ってもいいでしょう。2008年に来日した際に聞いた、「タマス・バンドのバンマスはネイサン」ということを、6年の時を経て強く認識しました。

最新作において音響的な技巧やエフェクト面で貢献していたクリス・リンチ。曲においてはピアノも演奏しましたが、フェンダーのテレキャスターにたくさんのペダルを用いてエフェクトを駆使することで、ネイサンとともに、時にドローンやアンビエント的な要素を加え、タマス・ウェルズの音楽に新たな方向性を示してくれました。前回、エレクトリック・ギターを担当したキム・ビールズと比べてもギターの演奏はテクニカルで、より音響的な志向が今回もたらしたものはとても大きかったとおもいます。

さらにふたりはオープニングアクトとしてそれぞれソロで演奏もしてくれました。ネイサン・コリンズは新しいピアノ・プロジェクトn mark.として、ニルス・フラームを彷彿とさせる美しいソロ・ピアノを披露。クリス・リンチはギター弾き語りで自身のバンド、ブロークン・フライトの曲を演奏(ちなみにブロークン・フライトのプロデューサーはネイサンです)。

そして、アンソニー・フランシス。アンソニーというプレゼンスそのものがバンドの宝です。神戸公演がおわり、打ち上げすらおわった23時過ぎに会場に遅れてやってきたときのみんなの盛り上がりぶりはツアーのなかでもある意味ではハイライトでしたが、そのときアンソニーの偉大さをぼくは実感しました。この人のまわりには笑顔が生まれるのです。福岡公演、神戸公演をおえてぼくが感じた今回のタマス・ウェルズ・バンドのパフォーマンスの安定感と手応えは、翌日の東京公演の最初にいきなり演奏をミスしたアンソニーによって見事に打ち砕かれたわけですが、それでもタマス・ウェルズ・バンドには彼の存在は不可欠です。たぶん。(思えば、2010年のsonoriumでの公演の奇跡はアンソニーがもたらした部分も多かった…?)

初日のpapparayray。ずっと来たかった福岡でのライヴ。福岡公演のプロモーターRepublik:の河崎さんの最高のホストぶりは個人的にとても勉強になりましたし、福岡が初日でよかったとおもいます。古民家を改装した噂のpapparayrayもタマス・ウェルズの音楽に完璧にフィットしていました。

今回のツアーのキックオフ曲は「I’m Sorry That the Kitchen Is on Fire」。この曲からのスタートはすこし意外(調べたら意外と前回のツアーではこの曲を演奏しなかったんですね)。ライヴでは1stヴァースのあと、アンソニーがハンドクラップをするのがこの曲の決まりだったのですが、そのパートがドラムにとって代わられていたのを聴いて、いきなりぼくは異様に感動したのです。2007年の来日のときから何度も聴いてきた曲が生まれ変わったかのような、あるいはどんどん成長していくような。それは「Lichen And Bees」などの定番曲でもおなじです。10年近くものあいだ、同じ熱量で、同じバンドを追いかけることは後にも先にもないとおもいますが、今回のツアーでは「タマス・ウェルズを好きになってよかった」と感じる瞬間がなんどもなんども訪れました。

新しい曲をおぼえたら古い曲を忘れてしまうタマスですが、たまに古い曲が甦ることもあるようです。今回は「The Northern Lights」がそれでした。今回のツアーではバンジョーを使わないとあらかじめ聞いていて、この曲も演奏しないものだとおもっていたので、とてもうれしい驚きでした。2008年以来、ひさびさに演奏される名曲。

最新作『On the Volatility of the Mind』から演奏されたのは7曲。「Bandages on the Lawn」「I Left That Ring on Draper Street」「Benedict Island (Part One)」「I Don’t Know Why She Burned up All Those Greylead Drawings」「Never Going to Read Your Mind」「The Treason at Henderson’s Pier」、そしていずれの公演でもラストかラスト前で演奏していたシングル曲「A Riddle」。ぼくがいちばんすきな「An Appendix」は残念ながら演奏されなかった(2010年に「Thirty People Away」を演奏しなかったのとおなじ理由?)。

初日の私的ベストはタマスがピアノを弾いた「Signs I Can’t Read」から「Melon Street Book Club」。タマスのピアノ弾き語りというと2010年のsonoriumでの名演(ライヴ・アルバム『Signs I Can’t Read』で聴けます!)ですが、あれ以来の披露となりました。いずれの曲でもクリスとネイサンによるアンビエント・ノイズもとても効果的で、ヒリヒリとした緊張感と恍惚さがあわさった最高の演奏でした。

2日目の旧グッゲンハイム邸は2012年にダスティン・オハロランのツアーで使用して以来。間違いなくタマスの音楽にふさわしい会場だと確信していましたが、予想以上でした。この日はプロジェクターを用いて、最新作のアートワークの元になった「Fossil Fish」をアレンジしたイメージのヴァリエーションを天井に投影。曲ごとに別々のイメージがフェイドイン・フェイドアウトしていくというもの。

今回、すべての公演がちがうセットリストでした。日本の前は中国ツアーだったのですが、中国での4公演はすべておなじセットだったとのことで、ぼくがちがうセットリストを希望したからということもあるとおもうけど、気をつかってくれてうれしい。ライヴ前にみんなで真剣にセットリスト会議を行っていたのが印象的でしたが、セットリストがちがうだけで随分とライヴの印象が変わるんですよね。

「新作から1曲」と言って演奏した「I Don’t Know Why She Burned up All Those Greylead Drawings」。オリジナルよりもやさしく静かに歌うライヴ・ヴァージョンは鳥肌が立つほど美しかったです。この日は福岡よりもMC少なめでライヴは進んでいきました。「きょうMC少なかったね」とあとで言ったら「いつも迷うんだよね。お客さんがMCも聴きたいのか、曲をたくさん聴きたいのかって」とのこと。「きみが言うことならMCも曲もみんなどっちもうれしいとおもうよ」。

この日の「復活した昔の曲」枠は「Grace And Seraphim」。ぼくがタマス・ウェルズの曲のなかでいちばんすきな歌です。彼が第二の故郷ミャンマーに捧げたアルバム『Two Years in April』のラスト曲。自分を投影した少女が死に、彼女の葬式について歌った儚いレクイエムです。『On the Volatility of the Mind』の雰囲気が『Two Years in April』に似ていると感じたのはアルバムをしばらく聴いてからだとおもいますが、間接的か直接的かのちがいだけでいずれも自分の死と孤独について歌っているのです。「Grace And Seraphim」は「Signs I Can’t Read」と同様に、タマスがとても大切にしている曲であり、だからこそことあるごとにアンコールで歌われてきました。そして、たぶんこの曲だけはこれからもバンドで演奏されることはきっとないのでしょうね。

東京公演の1日目は光明寺です。このすばらしい会場を紹介してくれ、また東京2日間にわたりすばらしい音響を提供してくださったFly soundの福岡さんには感謝しきれません。教会から寺へ。「教会も寺もやったから、次はムスリムのモスクかな」とタマスもジョークを飛ばしていましたが、彼のような繊細な音楽にとっては会場選びはとても重要です。富士見丘教会じゃなくなったから、という理由での予約のキャンセルも残念ながらいくつかありましたが、ポジティヴにとらえるならぼくの会場選びがそのひとにとってはとても正しかったということ。教会だろうと寺だろうとモスクだろうと、どこであろうとタマス・ウェルズのライヴを観るなら日本で観るのがいちばんしあわせだとおもいますよ。そう信じてぼくはいつも選んでいます。

結果的に光明寺のライヴはあの伝説的なsonoriumの夜を越えたとおもいます。神戸公演も最高でしたが、この日は個人的にほんとうにベストでした。クリスがピアノを弾いた「Vendredi」の静かなオープニングにつづいては、ネイサンとアンソニーが加わっての「The Northern Lights」。前述のとおり、いきなりアンソニーが演奏をミスして先がおもいやられましたが、その後は目立ったミスがなかったことは幸いでした。彼のミスのことばかり書くのもあれなのでフォローも。この「The Northern Lights」もそうですし、「I’m Sorry That the Kitchen Is on Fire」「The Crime at Edmond Lake」「For the Aperture」など4人での厚みのあるサウンドはほんとうに見事であり、圧巻でした。富士見丘教会は音量的制限があったので、その点では光明寺に会場が代わってよかったと言えるでしょう。

タマスが奥さんにプロポーズしたら「I don’t know」と答えられたという経験をモチーフにした「Benedict Island (Part One)」はアルバムのなかで2番目にすきな歌。この曲と、「I Left That Ring on Draper Street」という新作からの2曲がとてもすばらしかったです。特に「Signs I Can’t Read」と同様のピアノ弾き語りによる「I Left That Ring on Draper Street」はいずれの公演でも怖いくらい背筋をぞくぞくさせるほど美しく儚い演奏でしたが、この日はほんとうに格別で、今回のツアーのベストソングだったかもしれません。「Signs I Can’t Read」のようにネイサンとクリスに加え、アンソニーもキーボードでアンビエント・ノイズを作り出していました。「Sorry」という歌詞でおわるこの曲のあとの余韻と、タマスの振り絞るような「Thank you」は忘れがたいです。「Draper Street」はタマスの故郷であるジーロングに実在する通りの名前。悲しみを漂わせるこの歌詞の真意について、結局最後までタマスにもブロンにも訊けなかったままだけど、いつか訊いてみたいです。

ツアーファイナルは2011年の前回につづき原宿のVacant。ツアーファイナルは毎回いちばんすばらしい内容になる傾向がありますが、この日はいささか不運でした。開場時間の30分前ぐらいに東京を襲ったゲリラ豪雨。ちょうどサウンドチェック中でしたが、あまりの雨に通路の屋根が壊れるかとおもったくらいでした。その後、すぐに雨はやんだものの、壁の外から雨漏りとおもわれる音がライヴ中も絶え間なく聴こえてくるという苦難。観客はもちろん、演奏するほうにとっても耳障りだったとおもいます。天災なのでしかたないことではありますが、とても残念でしたし、お越しいただいたみなさんにとても申し訳なかったです・・・。

今回のツアーで驚いたのは、「When We Do Fail Abigail」「Reduced to Clear」という、最初のツアーから毎回演奏していた1stアルバムからの定番曲2曲を演奏しなかったこと。前回はいずれもアンコールで演奏していた重要曲。この夜、唯一演奏された「Broken by the Rise」を除いて、1stアルバムの曲がついにセットリストから姿を消したのです。1stアルバムのリリースからちょうど10年。みんな次に進んでいくのですね。

言わずと知れたタマス・ウェルズの名曲「Valder Fields」。ぼくはこの曲が完璧に演奏されるのを、この曲の完成形を聴きたいとずっとおもっていました。彼らもこの曲が代表曲だという自負があるせいか(おもにアンソニーのせい…)、これまで完璧に演奏されることはなかったと個人的にはおもっていました。でも今回のツアーではそれが聴くことができたとおもいます(数えたらこれまでに計21回も聴いた)。特にVacantでの「Valder Fields」は最高でした。「ぼくらの生活にはふたつの部分があって、ひとつは理性的で思慮分別がある部分と、一方は非理性的な部分があるとおもうんだ。そんな別々の場所について考えたときに自然発生する場所をValder Fieldsと名付けた」というかんじで彼は説明していましたが(そしてこの曲について説明するのは今回のツアーがはじめてのこと)、それってつまり「Volatility of the Mind」ってことですよね。

(個人的には、最後ダブル・アンコールがもしあれば演奏される予定だった「Grace And Seraphim」を聴けなかった悔しさをぼくは一生忘れないでしょう)

作曲家のマイケル・ティルソン・トーマスの講演の映像を繰り返しみていた時期がありました。そのなかで彼はこう言っています。「音楽鳴り止んだときになにが起こるのか?人々の心になにが残るのか? 音楽が無限に存在するこの時代になにが心に残るのか?」。ぼく自身が演奏をするわけでもちろんはありませんが、ライヴを企画するものにとっても、この大きな疑問からは逃れられません。ライヴから一ヶ月経ち、すでに記憶から失われてしまったひともいるかもしれません。それでも、ぼくにとってはきっと一生残りつづける大切な記憶です。あの日、あの夜、彼らが奏でた音楽が、できるだけ長く、観ていただいたみなさんのなかに残ってくれたらいいな、とおもいます。

すべてのお客様や関係者のみなさまのおかげですばらしいツアーにすることができました。まるで観客ひとりひとりに語りかけるようにやさしく歌うタマスのように、すべての方々に、ひとりひとりこころから感謝を伝えたいぐらいです。どうもありがとうございました。なによりいまの彼らの最高のライヴを観てもらえたことがうれしくてたまらなかったです。そして、やっぱり、いま、かなしくて、さびしいです。

ありがとうございました。
 
 

(さらに…)

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